福島県会津若松市内の東山温泉で一泊した帰り道、高速道路は使わず、国道121号線を日光鬼怒川方面に向かって南下しました。
ランチ休憩をかねて立ち寄ったのは、かつて会津西街道の宿場町として栄えた大内宿。
今も街道沿いに茅葺き屋根の古民家が立ち並び、旧宿場町の景観を往時の姿のまま残した街並みは見事なもので正に奇跡的。国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
途中の小さな交差点で、国道から山道に分岐し、くねくね道を車で5分ほど登った先に大内宿はありました。
前日泊まった旅館東山温泉の女将さんに、
「大内宿には皆さん昼時を狙って来るから、早めに行かないと駐車場が満車になるかも」
との情報をいただいていたので、昼少し前に到着。
それでも広い駐車場が、もうかなり埋まっていました。結構な山の中なのに、たいした集客力です。
ちなみに駐車場代は500円。
ふと、たて看板を見ると、えっ? 熊、出るんだ!?
江戸時代に会津藩が脇街道として整備した会津西街道は、道の険しさもあって、やがて物流のメインルートからは外れ廃れていきます。したがって宿場町の周囲には、熊も出そうな山林と狭い耕作地があるのみ。鉄道も別ルートを通ったので、近代化の波からは取り残されることになりました。そんな開発行為から逃れた半宿半農の山村であったからこそ残された光景といえます。
さらに廃村になるくらい寂れきってしまっていたら、逆に家も何も残らなかったのでしょうから、その塩梅はやはり奇跡的。
昔ながらの火の見櫓が写真に写っていますが、白川郷などと同様に、茅葺き屋根の家は火事が怖いですね。
昼食には少し早かったので、まずは定番の散策コースを歩いてみました。
宿場町のゆるい坂道を登りながら歩いていくと、突き当たりに正法寺のお堂へ続く階段が現れます。
さらに丘の上へと登っていくと、茅葺の子安観音堂が風情満点の姿を表します。
その前あたりからが、大内宿を見下ろす絶好の展望スポット。観光ガイドブックでもお馴染みの景色です。
すごい! 電柱もアスファルト舗装も見えません。
観光客全員に和服を着せて歩かせたら、完璧にタイムスリップ気分を味わえそう。
それにしても、心配したほどキツい登り坂じゃなくてよかった、などと考えながら、来た道を戻ります。
街道の両側には水路が掘られていて、山からの冷たい清水が引かれています。
暑い夏の日だったので、手を浸すと冷んやりとして、実に気持ちが良い。
峠越え直前の宿場町ですから、街道の輸送力は主に馬が担っていました。この水路は、繋いだ馬に水を飲ませるためのものだったとか。
当初、水路は道の真ん中にあったそうですが、街道の輸送力を増強させるため、水路を道の両側に振り分け、街道の道幅を広げたそうです。
結果的には、それでも宿場町としては廃れていったのですが、寂れるのに任せていたのではなく、不断の努力がありました。
そのおかげで今となっては、ゆったりとした道幅で一般車両も通らない、観光客が散策するには好適な道となっています。
ふと横を見ると、ラムネの瓶が!
暑い中歩いていますから、この誘惑に打ち勝つことは全くもって困難(笑)
店先には、可愛らしく手作り感のあるお土産物がいっぱい。
ここで売っている手縫いの小さな白蛇の縫いぐるみは、金運アップのご利益があるとかないとか(笑)
店の方にラムネを所望すると、気さくなご亭主やおかみさんたちが、
「こんな山の中に本当によく来たねぇ。麦茶もあるからいっぱい飲んで行きな。漬物も沢山食べて行きな」
と口々に言ってくれるので、遠慮なく一服。
漬物の試食なんて、観光地ではよくある光景ではあるのですが、それが商売っけが薄くて、ただの田舎の気の良いおっちゃん、おぱちゃん達が、自家製の漬物を勧めてくれているように聞こえるものだから、実にほのぼのとした気分にさせられます(喜)
試食してみると、この漬物たちが本当に美味しい!
吟味して気に入った自家製漬物を二品と、ご飯に合いそうな「じゅうねん(エゴマ)みそ」を買って帰りました。
エゴマはこの周辺の特産品だそうで、ご亭主も子供の頃は、家に帰ると自分でエゴマをすり鉢で擦って味噌と和え、おにぎりに塗ってオヤツとして食べていたそうです。
家に帰ってから食べてみると、やっぱり美味しくて、すぐになくなってしまいました。
・・・もっと買えば良かった。
さらに少し下ると、街並み展示館となっている旧本陣があるのですが、残念ながら工事で休館中。
その横には、高倉神社の鳥居があります。
なんてこともない白木の鳥居ですが、この高倉というのは源平合戦の頃、清盛一党の平家討伐を命じた令旨(所謂 「以仁王の令旨」)を発して挙兵した後白河法皇の第三皇子、高倉宮 以仁王のこと。
源頼政とともに平家軍と戦って、宇治で討死したとの説が一般的だと思いますが、どうやらこの大内宿まで逃れ、一時滞在していたとの説も有力だとのこと。そもそも「大内」という地名が、天皇(皇族)の居住地を示す名称を由来としているそうな。
また歴史的な話をするならば、幕末から明治初期にかけての戊辰戦争の折には、薩長を中心とした西軍は会津藩の本拠地である鶴ヶ城を目指し、途中の村落を略奪、狼藉、放火しながら行軍して行くのですが、この大内宿周辺も合戦の場となりました。しかし他の集落と同じように、この宿場町を薩長軍が放火して行かなかったのは、この以仁王の故事から、火をつけるのは畏れ多いと判断したからだとも言われています。奴らは官軍を名乗っていましたからね。実際には、ただ宿場町から巻き上げた金銭に満足して見逃しただけかもしれませんが。
また、その後の明治藩閥政府も、しつこく会津を敵視し、交通網の整備を意図的に止めていたきらいがあるので、奴らに感謝するようなことはなに一つありません。
そうそう、多摩出身のヒーロー、新撰組副長の土方歳三も、宇都宮城攻防戦ののち、銃撃され負傷した足を引き摺りながらこの大内宿を経由し、会津に向かっています。
まぁ、そんな歴史には興味がなくても、日本昔話の舞台そのままのような宿場町の中を、庭先の花などを愛でながら歩けるのは単純に楽しいし、貴重な体験。
本当にテーマパークか映画村のセットのようですが、正真正銘、個人所有の古民家群。
こちらの家なんかは、ごく普通に居住しているだけの一般民家のようです。
でも、元々宿場町だったこともあってか、何かしらの商家となっている家が多いですね。
こちらは、お煎餅屋さん。
他には、喫茶店のようなお店もあります。
そして一番多いのは、高遠そばの店。
高遠そばとは、信州高遠が発祥の蕎麦で、擦りおろした辛み大根を添えた汁が特徴。
この蕎麦には、二代将軍徳川秀忠の庶子である保科正之が、信州高遠藩の保科家の養嗣子として預けられて育ったのち、初代会津藩主としてやってきた際、郷里の高遠で食べられていた蕎麦を持ち込んだという歴史的な由来があります。
それではそろそろ昼飯にしようと、ネット検索で評判の良かった「山本屋」さんや「三澤屋」さんなどを覗いてみると、すでに満席となっていて、店によっては行列まで出来ています。
これはまずい、ボヤボヤしていると益々混んできそうだと、何処でも空いてる店に入ってしまうことにしました。
まず目に入ったのが、そば処こめやさん。
きっと、元お米屋さんなんでしょうね。
店に入って聞いてみると、幸い席に空きがあるとのこと。地元の農家のオバサマ達と見える花番さんが、応対してくれました。やれやれ一安心。
靴を脱いで座敷に上がると、すぐに囲炉裏があって川魚を炭火で焼いています。こりゃあ、うまそうだなぁ。
夏のとても暑い日でしたが、茅葺き屋根を燻すためにも、囲炉裏の火は絶やせないのでしょう。
店内は板敷の厨房部分と、畳敷の座敷に分かれていて、座敷に一卓空いていた座卓席に案内してもらえました。
座敷のつくりは全く純和風のもの。床の間と飾り棚があるあたり、そこそこは繁盛していた米屋さんだったのでしょう。
開け放たれた障子からは、外の街道を行き来する人が見えます。
涼しいとまでは言いませんが、茅葺き屋根のせいか、それほど暑くもありません。
さて、大内宿では、丸ごと一本の長ねぎを箸代わりして食べる「ねぎそば」が名物になっています。
メニューを見ると、この店にも当然のようにありますね。
その他、先ほどの囲炉裏で焼いていた岩魚や、つきたて餅が推しメニューである様子。
注文したのは、そのテレビの旅行番組などでもお馴染みの「冷たいねぎそば」
名物は、一度は食べてみなきゃね。
配膳された蕎麦の鉢を見ると、本当に長いねぎが丸ごと一本横たわっています。
明らかに食べづらそう(笑)
トッピングは、大根おろし、刻み葱、梅干しに海苔。
蕎麦汁をぐるっと回し掛けして・・・
一本ねぎで蕎麦を引っ掛けて、ズルズルと蕎麦を啜り、薬味としてねぎを齧る。
ああ、でもこの蕎麦、観光地の蕎麦にしては手打ちだし、風味があって美味いぞ!
それに長ねぎを丸齧りなんてしていたら、口が辛くなって食べられたものではないだろうと思っていたけど、辛味の少ないネギを選んでいるのか、たまたま当たりだったのか、思いの外食べやすい。
おろし大根もさっぱりとした味わいにしてくれて、夏の日の昼食にピッタリ。
大半が二度は来ないであろう一見の客だろうに、そんな観光客相手の味ではなく、また食べに来たいと思わせる味でした。
正直、珍しい風習を体験してみるだけのつもりだったのだけど、味も良いなんて、これは嬉しい誤算(喜)
この様子だと、他の店の蕎麦もきっと同じように美味いんじゃないかな。
ちなみに、このねぎそばは、婚礼などのお祝いの席に会津の中の一部の地域で出されていた蕎麦。「切る」という言葉の縁起が悪いから、切らずに丸ごと一本出したとか、あるいは子孫繁栄を願ったとか、いくつか説があるそうです。
切るのが縁起が悪いのなら、この食べ物、そもそもが「蕎麦切り」じゃないかと思うけど?
まぁ一地方のストレンジカスタムだし、面白いから細かいことは何でもいいや。
楽しくて、美味しい食体験でした。
この大内宿が、観光地となっていながら、他の観光地と比べて露骨な商業化に毒されていないのは、住民が「売らない 貸さない 壊さない」の三原則を守っているから。間違っても外からの資本が入ってきて、クレープ屋やらスタバやらができることは、これからもないでしょう。
でも景観を守り続ける努力って、大変なことだろうと思います。この風景や味や、ほのぼのとした雰囲気が、いつまでも残ってくれることを願うばかりです。
大内宿を出た後は、南会津のもう一つの観光スポット、「塔のへつり」に立ち寄りました。
「へつり」とは、この地方の方言で険しい崖のこと。塔のへつりは、太古の昔に形成された地層が、長い年月をかけて川の水流や風雨に侵食され、塔のような形状となって残った奇岩が連なる景勝地のこと。国の天然記念物にも指定されています。
この摩訶不思議な自然の造形を一度は見てみたかったので、立ち寄れて満足です。
紅葉の時期だと、もっと映えそう。
この後は再び南下して、鬼怒川方面に抜けていきました。
【そば処 こめや】
■所在地 福島県南会津郡下郷町大字大内字山本16-3
■営業時間 8:30-17:00(L.O.16:30)
■定休日 無休(但し12/1-3/31不定休)
■駐車場 大内宿有料駐車場あり